絶望と再出発。そして現在。

 

障害者で病気だった父との2人暮らし。

 

母が急逝し、関東から
地元の福岡へ戻ってきた私。

 

それからは障害があり
闘病をしていた父を

一人娘である私が、
たった1人で生活のすべてを
支える毎日が始まりました。

 

当時はまだ
販売の仕事をしていたので、
早番遅番をやりながら

家事全般をこなし、
そして父の介護もこなし、

さらに、

父は生まれつき
片手が不自由なので
色々な手助けも必要で、

 

うちはもう他に
分担してくれる家族もいないため


無理矢理私がすべて
やっていくしかなくて、

そんな過度な負担がかかる
生活を年々続けていくうちに

私自身の体にも
密かに異変が起きました。

 

最初からヘルパーさんに
頼れたら良かったんですが

費用を出して
ヘルパーさんをお願いしても
1日数時間だけですし、

そもそも我が家にはそんな
経済的余裕はありませんでした。

 

父の病気は、長年の
不摂生のせいでもあるんですが、
肺ガンを患い、

若い頃から
かなり高めの
高血圧で、

肺ガンのせいで腎臓
悪くしていました。

なので、過剰な塩分も
取れませんでしたし、

腎臓が悪いので

カリウムという
栄養素が入った食材は
すべて食べてはいけなかったので

病院から食事制限
されていました。

なので、

毎日の食事も
調理に細かく気をつけながら
作ってあげなければ
いけなかったので、

更に大変でした。

 

唯一の家族、父との別れ。

 

何もかも自分が
やらなければいけない
負担の多い生活だったので、

正直、投げ出したくなるくらい
かなり大変でした。

 

父は何も出来ないし、

最後の方は寝たきりで
入退院の繰り返しでした。

家にいても家のことを
手伝ってもらうことは不可能。

でも、それでも
私は幸せでした。


だって、
家族である父が
まだ側にいてくれたから。

 

 

でも、さすがに
私も無理をしてたので、

全部自分だけでやることに
限界を感じていました。

そこで、

父が亡くなる半年ほど前から
ヘルパーさんにお願いをして、

時々助けてもらうように
していました。

 

でも、ある真冬の日。

私は用事があって、どうしても
家を1泊2日で空けなければ
いけない日がありました。

でも、父も、

ずっと自分の世話ばかりを
していた私に気を使ってくれて、

時々、出かけておいで
言ってくれていました。

 

でも、出かけてしまうと
父が1人になってしまうので、

頼んでたヘルパーさんが常駐していた
家の近くにあったケア施設
父を一晩だけ預けて、

お願いすれば父をお泊りさせて貰えて
お世話をお願いできたので、
外出をしました。

 

父は肺ガンだったので、

片方の肺を
半分切除していたので、

真冬だったある日、

風邪をこじらせて
肺炎を起こして

かかりつけの救急病院に
運ばれました。

 

私が不在の時はヘルパーさんが
ケア施設へ父を連れていって

お世話をして下さるので、


父が病院へ運ばれた時、

私は家計のために
家の近くのスーパーで

17時から22時半まで
働いていて職場にいました。

 

その職場に、
お店の閉店間際の22時頃、

運ばれた病院から
電話がかかって来ました。

 

いつもは職場に
連絡はされないし、


かかってくるとしたら
緊急連絡先として
電話番号を
病院に伝えてあったので、

私はその電話が来た時、
『まさか…』
嫌な予感がしました。

『お父さんが運ばれて来られて
容態が危ないかもしれないので、
すぐに来れますか?』

電話でそう言われた私は、
まだ勤務時間が残ってたけど、

職場の夜勤の責任者の方に
父のことを話しました。

すると、

『もう閉店間際でお客も来ないから
 すぐに行ってあげて』と、

すぐに車を出して下さり、
おかげで病院に直行出来ました。

 

そして、父は

たった1人になってしまう私のために
必死に生きようとしていて、

ずっとずっと病気と
闘ってくれていましたが、

肺炎で昏睡状態だった父は、

運ばれた翌日の朝、
2015年1月に
旅立って行きました。

 

父が遺してくれた最期の言葉。

 

私が仕事などでいない時に、
父はケア施設へ行ってたんですが、

その時にヘルパーさんに
話していた言葉があります。

 

父は温厚でもの静かな人で
普段から口数は多くない人でした。

なので、怒られたことも
褒められた記憶も
ほとんどありません。

怒るのはたいてい
母の役目でしたから(笑)

 

そんな父に
ヘルパーさんがこう尋ね
ました。

『娘さん1人で色々
ご心配じゃないですか?』

すると父がこう答えました。

『あの子は1人で何でも出来るけん
 何も心配してない。大丈夫ですよ』

ヘルパーさんに
そう言ってくれたのです。

 

その後すぐに
容態が急変し病院に運ばれ、
すぐ昏睡したため、

会話が出来なかったので

父になぜそう言ってくれたのかを
聞くことは出来ませんでした。

 

でも、口には出さなくても

ずっと母の代わりに
生活のすべてをこなしてた私に

父なりに色々な想いを
してくれていたんだろうな…
と思います。

 

今では、ツラくなると、
いつも父のこの言葉を思い出して
頑張るようにしています♪

 

この言葉があったから
それまでの負担や大変さが
全部報われたようで
すごく心が軽くなりました。

 

ずっとたった1人で
支えていかなければいけなかったり
何もかも1人で頑張るしかなくて


誰にも頼れない
ひとりっ子の自分の運命に

苦しんだり、恨んだり
したこともあります。

 

でもこの両親の1人娘として
生まれて来れたことに

本当に良かったなと
今も心から感謝しています。

 

天涯孤独にになり、生きるすべを失った私。

 

祖母、母、父を亡くし、
兄弟もいない私。

そして、親戚も
その頃は同じ九州には
ほとんどおらず、

遠い所には従妹はいますが

父が他界したことで
完全に天涯孤独となりました。

 

家族がいた頃に
県外で1人暮らしも
していましたが、

その時とは1人暮らしの
意味合いが違って、

最初のうちは
1人で生きてくことに
何の不安もありませんでしたが

時間が経てば経つほど
孤独感が増していき、

毎晩泣きながら
暮らしていました。

 

それでも当時はまだ
私自身は仕事もやれていたので

仕事さえあれば生活は
なんとでもなるしと思って
生活をしていました。

 

だけど18歳から約30年間
ずっと立ち仕事ばかりして来て、

さらには父を支えるために
家事、介護、仕事すべてを

1人でこなす毎日が
数年間続いたことで、

滅多に体を壊さない私の
体にも
ガタが来てしまい、

働けなくなるほど
腰を悪くしてしまいました。

それでも仕事をしましたが、
腰から全身にかけて激痛が走り

体が硬直してしまって
動けなくなるので、


30分と立っていられずに、

労働が全く出来なくなったので、
帰ってしまいました。

 

でも働けないという事は
収入も入らなくなるわけで…

家族がいない私にとって、

仕事は、私が
生きていくための
唯一の手段でした。

 

でも私には、
父が他界した時に、

父がいたらもらうはずだった
障害年金から、遺族に
年金を一部の金額だけですが
支給されたので、

100万円ほどでしたが、

亡くなってから最初の1年間は
そのお金のおかげで
生活も助かってました。

 

でもそれも結局、

父にかかっていた
莫大な介護費用へと
変わってしまい、

あっという間に
無くなりました。

 

でも私には
家族もいないので

誰にも相談できないし、

でも働かなければ
生活が出来ないし…

うちには貯えなんて
全く
ありませんでした。

これからどうやって
生きていけばいいのか…

特別に何か資格を
持ってるわけでもないし、

2017年で43歳に
なっていた私は

転職したくても
田舎では無理だし…

 

でも、仕事があったとしても
今の体では仕事にならないし…

でも稼ぎたいけど
何も出来ない…。

 

すごく悔しくて、悲しくて、

私にはもう
生きるスベが何にもない。

だから、そのうち私は

生きることを諦め
絶望感しかなかったので、

『早く家族がいる天国へ
 行ってしまいたい』

そればかりを思い、
生きる気力を失っていました。

 

友達のおかげで出逢えた、新しい希望の光。

 

生きる意味がなくなったと
思っていた私。

 

でも私には、
大人になってから知り合い、

いまでも良く遊んでいて、

父の介護もときどき
手伝ってくれていた

1つ年上の姉のような
いちばん仲良しの
友達がいるのですが、

 

実はその子も

私よりも早くに
ご家族を亡くされていて
私と同じひとりっ子。

なので、同じような
境遇だったので

 

今でも何かあると
いちばんに助けてくれたり
慕ってくれる間柄です。

 

でもその子は事情があり、
外で働いていなかったんですが

毎月ちゃんと
収入があったので、

どうやって生活費を
入れているのかが不思議で、
昔、尋ねたことがあるんです。

 

すると、その友達は、
生活保護を受給しながら

在宅ワークという

インターネットでやる
ライティングのお仕事

していました。

私はパソコンは
もちろん持ってたけど、

やってたのは

ネットサーフィンと
趣味でやってた
ブログの更新くらいで

 

ネットを使ってお金を
稼げる世界があるなんて

全く知りませんでした。

 

それに、若い頃
詐欺に騙されたので
怖さしかなく、

まったく信用してない
嫌いな世界でした(笑)

 

でも、私にはもう
外で働くことは出来ないし、

頼れる身内もいないし、

他にどうやって
生活費を稼いだら
良いのか分からないし、

何にも出来ず、
途方に暮れていたので、

 

だけど、
もうこうなったら、

生きていく為に、とりあえず
やってみるしかない!
と思い、

不安度120%のまま
勇気を出して、

インターネットビジネス、
副業、アフィリエイト、
在宅ワークを

色々調べてやりました。

 

 

でもすぐにお金が
手に入るわけじゃないので

まずは、生活が出来るように
しなければいけないので、

生活保護を申請しました。

 

でも家族がいた頃は
両親の給料もあったし、

祖母も同居してて
年金を貰ってたので、

国の制度に頼る必要が全くなく、

生活保護というものが
あることすら知りませんでした。

 

だけど、私と同じ境遇で
1人暮らしをしてた友達と
知り合ったおかげで、

労働以外にも、
稼ぐ方法も、働く方法も
他に色々あるということを
知りました。

 

そして、ある時、
YouTubeを見ていて、
たまたま出てきた検索結果にあった

とある女性の動画
目に入りました。

 

その動画がきっかけで、

私の今までの
ネガティブな価値観を
壊してくれて、

未来へ向けて
前向きに生きていこう!
思えるようになりました。

そして、その動画を
知ったおかげで、

私が生きる続けるための、
新たな希望の光となった

今の働き方と
出逢うことが出来たのです。

 

そして現在。

 

その動画を配信されている方が
相羽みうさんといって、

チャンネル登録者もメルマガ読者も
5000人以上いらっしゃる
女性に大人気の女性起業家さんで、

私が見た動画は、
今私がやっている働き方の
ノウハウを
伝えてらっしゃる動画でした。

 

最初は私も全く信用してなかった
半信半疑のまま見ていました。

 

でも、私はこの働き方の
内容を知って、ビックリして、

ものすごい衝撃感銘を受け、

私も彼女みたいに
思うように気ままに

自由に生きたい!

と憧れるようになりました。


それが
この世界に飛び込もう!

知らない世界への
最初の勇気を
踏み出すことが出来た
理由のひとつです。

 

まずは相羽みうさんの
公式サイトをご覧下さい。

相羽みうさん公式サイト

オンラインサロンもされていて
1年間は無料で利用できます♪ 
詳しくは画像をクリック(^^)/

相羽みう副業オンラインサロン

 

そして、私がこの働き方を
選んだ理由が他にもあるんですが、

それについては、
2つの働き方を知ろうという記事で

詳しくお話していますので、
そちらもぜひ見て下さい♪

 

私は、
この新しいビジネスのことを

自分から勇気を出して
知りたい!と思って
自ら行動をしたから

この働き方を
学ぶことが出来て


生きることを
諦めずにすみました。

 

私の人生ストーリー
ここまで読んで頂いた方も
今を諦めずに、もう1度0から、

新しい人生を私と一緒に
この働き方で歩んで欲しいです。

 

そして、
このブログを通して、

読んで下さった方が
何かの気づきを得たり、
新しいスタートのきっかけに
なったら嬉しいです♪

  • この記事を書いた人
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松尾たかよ

【福岡県在住/46歳】家族全員が他界し天涯孤独になり、生きる希望を無くした私が人生を取り戻すことが出来た、その秘密を発信しています♪ 私の詳しい自己紹介はプロフィールページで暴露しています(^^)/

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